新しい日常

新しい日常

新型コロナウイルスの感染が一段落し、緊急事態宣言は解除されました。

2月下旬から世界中で感染症が猛威を振るっています。第一波で終わらないのでしょう。いまだ人に免疫はなく有効な薬はないようです。

5月20日、人づてに山の友が亡くなったと知りました。

3年前の夏から体調を崩し、山で会うことはなくなりましたので、一部でその時に「死んだって聞いたけど」と何人も尋ねられました。また無責任なうわさかと、いきどおりました。でも、どおやらほんとうでした。

22年来の付き合いでした。いわゆる「年の差友だち」でしたが、年代の差はあっても、決して子ども扱いされませんでした。女だからと卑下されることもありませんでした。

不思議な人でした。口癖は「好きなことは黙ってやれ」「やりたいことがある僕らは幸せなんだよ」でした。

登山の社会的普及に努めた人ですが、SNSでの「見て見て」といった、子供じみたおひろめが大嫌いでした。

立木の伐採などの刃物の使い方を教わりました。焚き付けの仕方も習いました。今は田舎の古民家に住んでいますので、広い庭や畑での仕事に、大いに役立つ技術になりました。

一人でも山を歩き楽しみ、出会った人と打ち解けることができるのは、彼の行動をまねてのことです。

決して説教はしませんでした。ただ、私は彼の「門前の小僧」だったようで、なんとなく同じようなスタイルで山歩きを続けています。

朝日新聞連載「ちょっと里山」は119回で今のところ、お休みです。再開を待っています。

この連載は、8年続いています。長すぎますね。

だって、このあいだに、私の大事な人・・・母、恩師、最愛の山友が亡くなったのですから。

私にとって、新しい日常とは、マスクをし手洗い励行、人と会うには距離を置いて、などといった生活ではありません。大事な人がいなくなった世界に住むことです。

二つの画像の記事は勤労者山岳連盟の機関紙「登山時報」のものです。(2014年1月号と15年10月号)

2014年1月号の記事のアンサー(返事)のようになりました。