寄稿「田和山史跡公園」

田和山に見向きもしなかったのは、「史跡公園」と名がつけられての印象でしょう。公園であって山ではないと。
今回、この山に立ち寄ったのは、隣接する松江市立病院のがんセンターに通院することになったからです。乳がん手術後の放射線治療が1 9回、必要なのです。
松江西IC付近を通過する際、自動車道から見るだけではどうしても病院の高層建屋しか目に留まりませんでしたが、ふと見上げて登りたい、というより書いてみたいと思いました。
『蘇る弥生 ドキュメント田和山遺跡訴訟』(高野孝治著)がひらめいたのです。実は、自宅の本棚にあっても、持っているだけでした。あたらめて読みました。今まで知らずにいたことが、ただただ悔やまれました。
だから、「田和山」のことをコラムにするなら、住民運動があって、裁判まで起こしてこの遺跡は保存されることになったのだとまず触れたかったのです。そして松江市立病院は移転建設されたと。
病院を出入りして眺めると、びっくりするほど山と背中合わせだな、と感じました。旧版のゼンリン地図を見ますと、水田だったところから山の裾野をならして、ギリギリまで敷地を設けたという感じでしょうか。
院内で治療を受け、時間が許す日は田和山の山頂に立ちました。
山を登るのに何がきっかけになるかわからないものです。山は大事、でも今の私は病院も必要な身です。
大病院に縁のない、元気がとりえだったころなら、どんなふうに思ったでしょうか。

ゼンリン地図2018年版

ゼンリン地図1990年版

駐車場より山頂。

中央、嵩山と和久羅山

自動車道・松江西IC付近。