「ふるさと」

「ふるさと」

ちょうど2年前に今住んでいる松江市郊外の農村部に引っ越してきました。

それまでは、松江城山が窓から見える市街地に住んでいました。

今住んでいる家屋は、終戦後、父方の祖父が朝鮮から引き揚げてきてから建てたものです。私は小学1年生まで住んだだけで、父の転勤について回り、街住まい。お盆や正月に帰省するくらいでした。それも私が中学生の時に父が病気で倒れ、数年後に亡くなって足が遠のきました。

2000年に祖父が交通事故で亡くなって空き家になり、家屋の傷みが進みました。その頃は本家のおじさんや叔父が帰省しては手入れをしていましたが、彼らも年をとり、手が回らなくなってきました。

窓を開けて、庭の草取りをするくらいなら、と始めたのがこの家に通う(?)ことになったきっかけでした。それまでは、墓参りをしても寄ることはほとんどありませんでした。本家のおじさんのくどい昔話を聞くのが嫌でした。

6歳のころまでしかいなかったので、「里」だの「実家」だのと言ったところで、周りの人の名前もろくに知りません。景色として覚えているだけです。

市内で、母と弟妹と住んでいた家があるのですが、「自分の根っこ」という気がどうしてもしないのです。父の病が治癒することなく退職となり、社宅を出なければならなかった時に住まい始めたからでしょうか。

その親元で13年、後19年、自分の生活を経ました。その間、1年足らずの母の介護と見送りなどがあり、どこか暮しを変えたい思いがわいてきました。でも、見ず知らずのところに住む勇気も資金もありません。

Uターンって案外、そんなものではないでしょうか。自分は相手のことをよく知らないけれど、周りの人は自分や自分の家族のことをよく知っている。折り合いの悪かった人がいても、憎まれ口を叩きつつ、帰ってきたことそのものはどこかで喜んでいる。うっとおしいと感じることもあるけれど、「自分を知っている人がいる」のが「ふるさと」なのかな、と思っています。